小学6年社会
福沢諭吉は 何を した 人?『学問のすゝめ』で 学ぶ 大切さを 伝えた
福沢諭吉は、明治のはじめに『学問のすゝめ』を書いて、学ぶことの大切さを広めた人です。江戸時代の終わりにはアメリカやヨーロッパへ行き、欧米の文化や考え方を紹介しました。慶應義塾という学校のもともつくりました。何をした人か、順に見ていこう。
- 説明
- 2:06(7場面)
- 問題
- 3問
公開
やってみよう
自分で考えてから、答えをひらきましょう。
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1福沢諭吉が 書いた 本は、「『学問のすゝめ』」「『解体新書』」「『枕草子』」の どれですか。
ヒント
学ぶことを すすめる 本です。
答え
「『学問のすゝめ』」です。学ぶことの 大切さを 説いた 本で、1872年に 初編が 出ました。『解体新書』は 杉田玄白らが 翻訳した 医学書、『枕草子』は 清少納言が 書いた 随筆です。
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2『学問のすゝめ』が 説いた ことは、「人の ちがいは、学ぶか 学ばないかで 生まれる」「生まれた 家で、一生が すべて 決まる」「学問は、医者だけに 必要」の どれですか。
ヒント
書き出しの 「天は 人の 上に 人を 造らず」に つながる 考えです。
答え
「人の ちがいは、学ぶか 学ばないかで 生まれる」です。生まれや 身分で 人の 上下が 決まるのでは なく、人の ちがいは 学ぶか 学ばないかで 生まれる、と 説きました。当時の 身分の 考え方を 問い直した、福沢諭吉の 主張です。
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3福沢諭吉が もとを つくった 学校は、「慶應義塾」「適塾」「寺子屋」の どれですか。
ヒント
1868年の 年号から 名づけられました。
答え
「慶應義塾」です。1858年に 江戸で 開いた 蘭学の 塾が もとに なり、1868年に 慶應義塾と 名づけられました。適塾は、福沢諭吉が 学んだ、緒方洪庵の 塾です。寺子屋は、江戸時代の 子どもの 学びの 場の 呼び名です。
この単元のことば
- 文明開化
- 明治の はじめ、欧米の 文化が 広く 取り入れられて、人々の 生活が 大きく 変化した こと
- 蘭学
- オランダ語の 本を 通して、西洋の 学問を 学ぶ 学問
- 使節
- 国を 代表して、外国へ 送られる 人たち
- 編
- 本の ひとまとまり。『学問のすゝめ』は 17編まで 出た
- 肖像
- 人の 顔や すがたを えがいた 絵。お札にも 使われる
おうちの方へ
- この単元は、学習指導要領が例示する42人の歴史人物のうち、福沢諭吉を「何をした人?」の形で1本にまとめた人物単元です。文明開化について福沢諭吉が欧米の思想を紹介したことは『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 社会編』で、咸臨丸での渡米、使節としての渡欧、1858年の蘭学塾の開設(慶應義塾の起源)と1868年の命名は慶應義塾の公式サイトで、『学問のすゝめ』の初編が1872年に刊行され1876年にかけて17編が出たことは慶應義塾の「『学問のすゝめ』刊行150年」のページで、一万円札の肖像(1984年発行開始、2024年発行開始の新しい一万円札は渋沢栄一)は日本銀行の公式ページで、2026年10月19日に確かめました。
- 書き出しの一文は、慶應義塾の紹介記事(「と云へり」)と現代仮名づかいの本文(「と言えり」)で一字一句確かめ、この教材では読みやすい「と言えり」の表記を使っています。「と言えり」は「〜と言われている」という意味で、この言葉を紹介する形で話が始まることを説明しています。「学ぶか学ばないかでちがいが生まれる」という部分は、当時の身分の考え方を問い直した福沢諭吉の主張として説明し、現在の人の違いのすべてを説明する事実としてはあつかっていません。
- 明治維新と文明開化の全体は「明治の 国づくり」の単元で、蘭学は「杉田玄白は 何を した 人?」の単元であつかっています。お子さんと見るときは、150年ほど前の本の書き出しが今もよく知られていることと、生まれや身分ではなく学ぶことを大切にする考えが、今の学校にもつながっていることを、いっしょに話してみてください。